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如月の茶事(暁の茶事)

月1回通っている茶事実習会の備忘録。
人をもてなすとはどういうことか、和食とは何か、を学ぶために通っています。

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如月は、暁の茶事。

午前4時から準備、5時からの席入りのため、茶寮近くのホテルに泊まる。
ホテルに向かう車中、大きな赤い月が東の低い空に浮かんでいた。

暁の茶事は、夜が終わり、朝が来る、その時の移ろいをしみじみと味わうもの。
行われるのは、厳寒の時期。立春の前後が最も相応しいという。
侘びの極地であり、先人が好んだ。
茶室の突き上げ窓は、この暁の茶事を楽しむためにつくられている。
今では、ほとんど催されることのないことから、幻の茶事とも言われる。

暁の茶事には、やはり茶飯釜が相応しいと先生は言う。
客の目前で、飯、汁、鍋を用意する。
また、献立は、消化がよく、滋養があり、身体を温めるもの。

禅寺のお坊さんは、早朝のお務めの最中、温めた石を懐に入れて、寒さと空腹をしのいだという。
一杯の濃茶のために、胃を温める。暁の懐石ほど、その意味を実感するものはない。

日の出前、薄暗い露地の腰掛には、手燭。
蹲ではなく、横に置かれた湯入りの手桶で手を濯ぐ。
茶室に入る前には、亭主も客も、ここで世俗の塵を落とす。

はじめて躙り口というものから茶室に入る。
普段の生活では使わないような小さな入り口。
誰もが平等に身を屈めて、茶室という小宇宙に入り込む。改めて、優れた意匠だなと感じる。

行灯ひとつの暗闇に目を凝らし、軸と釜を拝見する。
部屋の中心に竹の櫓から自在かぎで吊るされる釜。
白い湯気、濡れ光る釜、赤い炭。
ふだんよりいっそう、炭と湯の存在を強く感じる。

暁の茶事の燈火には、行灯が相応しいという。
炎が直接見える手燭は陽、行灯は陰。
夜から朝へ、陽が勝っていく頃合いだからこそ、燈火には陰を用いる。茶事の決まりごとの奥には、全て陰陽のバランスがある。

向付は、鯛の酒蒸し、牡蠣と海老に大根おろしのジュレ。
最初に口に運んだのは牡蛎。
身体の隅々に染み渡っていくのがわかる。
目覚めて数時間しかたっていない身体と、薄暗闇という環境が、感覚を鋭敏にし、牡蛎の滋養に敏感に反応する。
鯛は、羅臼昆布で挟み、酒を注いで10分ほど蒸す。皮がついていることが大事。
海老は、殻ごと高温で一瞬揚げ、すぐ氷水にとり冷やしきる。表面は火が通って赤く色づき、中は生のまま。
牡蛎は、表面がきれいに白くなるまで湯通しし、ザルにあげてさます。
大根おろしがジュレ仕立てなのは、旬の大根のおろし汁の美味しさを逃さず伝えるため。橙のぽん酢とあわせている。
橙は、はちまき剥きして2つに割り、井桁絞りで。絞り器を使わずとも、簡単に絞りきることができる。
一升瓶など、光を通さない口細の瓶に詰めれば、一年は持つ。人間が風邪を引きやすい冬には柑橘が実るというのは、うまくできた自然の循環と先生は言う。
ジュレは、寒天とゼラチンを混ぜることで、扱いやすくする。

飯は粥。かつお昆布、きんぴら、たくあん、海老の頭、ゆべし、干し柿煮の五種盛りの付け合わせとともに。
釜の中に、麻袋から米がパラパラと落とし込まれる。
粥を焚きあげるためには、湯を沸かすよりも強い火がいる。
適切なタイミングに適切な火が熾きていなければ、客に料理を出すことができない。
茶飯釜は、茶事では炭がすべての中心であるということを、よりいっそう明確にする。

汁はつかみくずし豆腐と蕗の薹。
極寒だからこそ、味噌は白味噌で。桜味噌も少し加える。
具が、水分の多い豆腐なので、少し味噌は濃いめ。
豆腐は、薄暗い中での調理だからこそ、つかみくずしで簡便に。
蕗の薹は、刻んで、冷水に少しさらし、火を止める直前に散らす。
土の下から、今まさにぐっと顔を出した蕗の薹の生命力を頂く。

粥、汁と調理が進むにつれ、湯気がごちそうというのがよくわかる。
少しずつ、濃度が薄まっていく暗闇と湯気のコントラストの変化が美しい。

鍋はぼたん鍋。
いつもは味噌仕立てだが、今日は趣向を変えて、すきやき風仕立てで。どちらの仕立ても、甘さしっかりが猪肉に合う。
猪肉は、上手に処理されたものを選ぶことが大切。今回は、先生が毎年取り寄せているという島根の猟師さんのもの。ちょっときれいすぎるくらいに臭みがない。
野菜は、大根、人参、独活、牛蒡、芹。
すべて、根菜は薄切りにし、かなり長めの短冊に切り揃える。芹も長め。もちろん根も入れる。
薄暗闇の中では、何を食べているか、はっきりわかるように、具材を大きめに切ることが大切という。
猪肉も根菜も陽のもの。冷えきった身体を芯から温める。

ハ寸は、菊花蕪とカラスミ。
カラスミはボラの子ではなくタラの子をつかった先生のお手製。時間ははかかるが、簡単につくれる。
カラスミという名前の由来からしても、ボラでなくてはならない理由はない。

主菓子は善哉。
小豆は二回湯こぼす。砂糖は味をみながら、二三回に分けて入れていく。
小豆は必ず前年に収穫されたものを。古いものは、いくら煮ても固い。重曹を入れれば、柔らかくなるが、味は落ちる。
もともとは粟が入るはずだったが、急遽餅に。
初釜で飾られていた餅花が入っている。
ああ、あの餅花の餅かと思えば、中に残る柳の枝もご愛嬌。

干菓子は、芋皮けんぴ、薄氷。
ここでは、野菜の皮や切れ端が捨てられるということがない。必ず活かされるとわかっているから、安心して形を整えるため、厚く皮を剥ける。
里芋の皮を細切りし、からりと揚げて砂糖をまぶした、芋皮けんぴ。確かにまっとうなお菓子だ。
薄氷は富山の名菓。
「如月、弥生の寒い朝に水たまりや水田に薄く張る氷の美しさを映した」という菓子の紹介文を読み、これこそ今回の茶事にふさわしいのでは、と持参したものを使って頂く。

茶事が終わる頃、障子を通して差し込む光は、もうしっかりと強く、外はすっかり朝になっていた。