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結果としての音楽、結果としての料理


友人から突然お誘いを受けて、久しぶりにライブを聴いてきた。
音楽プロデューサーの友人曰く、天才3人のトリオ。
多分、ジャズファンなら、誰でも名前を知っているようなプレーヤーたちだよ、と。
ヤコブ・ブロ(ギター)、トーマス・モーガン(ベース)、ジョーイ・バロン(ドラムス)。

演奏が始まったら、最後までずっと心を掴まれてしまった。

もう、3人ともちょっと聴いただけで、普通じゃないことがわかるのだけど、特に魅き付けられたのがドラマーのジョーイ・バロン。

もはや、音楽を演奏するために、楽器を鳴らしている、という感じがしない。
彼の魂の振動が楽器の振動を通して伝わってくる。
あるいは森の中で小動物がいきいきと遊び回っている、その音が楽器を通して聴こえてくる。
そんな感じなのだ。
ものすごく緻密で高度なテクニックなのだけど、そこに現れるのは、とてもゆったりとしておおらかなもの。

帰りに友人と話したのだけど、突き抜けた人たちって、もはや見ているものが違うんだよね、と。
音楽が目的ではなくて、結果としての音楽なんだと。
でも、本当にそれが機能するためには、高度なテクニックが必要で。

これは、料理にも当てはまるんだろうな、と。
目的ではなくて、結果としての料理。
でも、そのためには、やっぱり技術が必要なんだよね。