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睦月の茶事

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月1回通っている茶事実習会の備忘録。
人をもてなすとはどういうことか、和食とは何か、を学ぶために通っています。

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茶事実習会の朝は早い。
冬の光の中、駅へ急ぐ。
乗り換えを間違えたおかげで、いつもは使わない特急に乗り、つかのま旅の気分を楽しむ。
外房の先生のお宅の前には菜の花が咲いていた。

睦月の茶事は、新年最初なので初釜と言われる。
しかし、今年は表千家も裏千家も喪中なので、それぞれの流派のお教室では、単に稽古初めの会とされるでしょうという説明に驚く。家元制度の縁故のスケール感に圧倒される。

汁は蓬餅の白味噌仕立て。
蓬とスイバは、新年いち早く芽吹いてくるという。
香りは梅雨前のものにかなわないけれど、その生命力の強さに無病息災の願いを託す。
味噌の濃さと配合は、その日の気温に合わせて変える。
当然のこととして語られるたび、毎度気持ちが引き締まる。

「私は、みなさんの感性を引き出すことに対して、お月謝を頂いているんです」
確かな素材を見きわめること、素材そのものの味を引き出すことが大事なこと。味付けるという足し算はあくまで脇役。
だから、調味については、基本の割合と、そのさじ加減に影響することがらが説明される。

向付はきんめ鯛の雪花和え。
はじまりには白。
だから初釜には白の料理が多い。
魚は当然、丸魚から捌く。
茶事の調理環境には、制約も多い
だから、まな板を血で汚さないことが大事。
でも、それは日々の料理にも役立つこと。
雪花に見立てた卯の花は二度漉しを。
ひと手間が、日常の食材をもてなしの食材にする。
私の塩ふりを見て、そのふりかたでは、と先生が言う。
ふる塩の量は同じでも、その素材が供されるサイズと量によって、ふり方も変わるのだ、と食べて納得する。

煮物椀はかぶら豆腐白子包み、吉野葛仕立て。
これも白い料理。白で白を包む。
吉野葛は懐石では良く使われる食材だけど、練り上げるのに手間がかかる。
手間をかけるものこそ、確かな質のものを、と先生は言う。確かに、手間をかけたのに、美味しくないというのは、悲しいもの。
前盛は神馬草、菜花、天には松葉柚子。
神馬草の別名は「ほんだわら」と言われて気がついた。
はじめて自分で買った、正月飾りについていた海藻。
引き潮で乾いても、また生き返る、その生命力の強さ。
お飾りに使い、料理によってその力を身体に取り入れる。
「菜は上げてから食べましたか」と先生が言う。
菜を上げるは名を上げること。
つくる側、食べる側、双方の願いが食卓で出会う。

焼物は、ひらめの万寿焼。
50cmはあるヒラメを捌く。
ヒラメとカレイの違いは何か。
ヒラメは、よく動く小魚やエビを食べ、カレイは、砂の中の小さな虫を食べる。
その、運動の違いが、身質の違いになる。
ヒラメの鋭い歯を見れば、納得する。
切り身では、わからないこと。

預け鉢は、紅白ねじり梅と湯葉。
ねじり梅とは、梅花の花びらの曲線を模した、飾り切り。
抜き型がなければ、包丁でこう切る。曲線で切り込みを入れられないのであれば、直線でこう入れる。
道具や技術がなくてはできない、のではなく、今ある道具や技術でどうできるかが、常に語られる。

進肴は、赤貝の富貴寄せ、吉野葛仕立て。
赤貝が美味しいのは冬。
はじめて赤貝を捌き、貝を食べるとは、ついさっきまで生きていたものを食べることだと、あらためて気付く。
富貴のかわりに、チシャトウを使う。
高価で手に入りにくい食材だけれど、知っておくということが大事だから、と先生が言う。翡翠色が美しい。
赤貝の渋みが甘酢餡の酸味に合う。

焼物、預け鉢、進肴は、400年前の重箱にて供される。
道具は、所有するものではない、ひとときの間、預かるものだ、という言葉がリアリティを持つ。
人間よりもずっと寿命が長いのだから。

箸洗いは、のし梅と結び昆布。
のし梅の、出汁にはその酸味を漂わせ、種としてはその甘味を保持するという働きの複雑さに少し驚く。

八寸は、海のものとして車海老の手鞠寿司、山のものとして芽慈姑。
生きている車海老を捌く。手の中でうごめく車海老。頭と身体は容易に離れない。
殻つきのまま、丸めて串を打ち、蒸す。
殻は供する直前に剥く。身が縮まぬように。
黄味鮨を初めて食べた。
いや、食べたことはあるのかも知れない。でも、こんなに美味しいものだったかなと思う。
知っているはずの料理や菓子が、違うものに感じられるのは、ここではよく起こる。
芽慈姑は、芽を残すことで、今年も芽が出ますようにと願う縁起物。

湯斗の香の物は、粕漬け。
酒粕は、最も美味しいものが出回る二月頃のものを冷凍しておき、大根は家庭菜園のものを使う。
適切な時期を知ることと、わずかな手間をかけることのかけあわせが、極上をつくる。

主菓子は、昆布巻。
真昆布の黒砂糖煮は、洗練された美味しさ。
あと二日は煮たかったと先生が言う通り、確かに昆布は固かったけれど、真昆布の微かな旨味と黒砂糖の甘みの組み合わせは絶品。
餡を巻くとどうなるのか、試してみたくなる。

干菓子は、和三盆の鶴と、紅白の京都百景、かんぴょうの千代結び。
和三盆の鶴は、30分もあれば、つくることができると知る。
だから、何でも一度はつくってみることが大事。

帰りの電車はいつも、身体も心も頭も飽和して、ぼうっとしている。
とにかく、次の世代に手渡したい、という先生の圧倒的な熱量を受け止めるとこうなる。
私が茶事そのものをすることはないかも知れない。
でも、受け取ってしまったからには、その精神みたいなものだけでも、誰かに手渡さなければならないんだろうな、と暗い窓を見ながら、ぼんやり思う。