「釜ヶ崎でやわらかい料理をテーマにしたワークショップやってくれませんか」
はじまりは、大阪の日雇い労働者の街、釜ヶ崎で「ゲストハウスとカフェと庭 ココルーム」を営む、上田假奈代さんからの依頼だった。「釜ヶ崎芸術大学」の中の一講座としてやってくれないかと。
いつか釜ヶ崎で、何かできたらいいなと思っていたけれど、自分の料理の基本となっていたイタリアの家庭料理と釜のおっちゃんの組み合わせがなんだかしっくりこなくて、まだその時ではないのかな、と思っていた。
イタリアでは、食感を大事にする日本人からすると信じ難いくらい、くたくたに煮込む料理も多く、はじめはそういう料理を選んで、一緒につくってみようと考えはじめたけれど、やっぱりそれをつくって食べることになる人の姿が浮かばない。誰が食べるかわからなければ、何をつくっていいのかわからない。
おじさんたちの食の日常を感じたいと、釜ヶ崎に下見に行くことにした。
夜8時前になると、おじさんたちが値引きされる惣菜をかごに入れ、レジ前に列をなすという激安スーパー。ひとくち食べると猛烈にお酒が欲しくなる濃い味のホルモン焼き屋。袋入りラーメンを調理するための鍋とコンロを提供する教会が運営するラーメン室。週3回炊き出しが行われる公園。ココルームも関わっている、支援付きマンションの交流スペースで行われている月1回のおかゆカフェ。おじさんたちが、自分たちでメニューを決め、みんなで料理をつくり、食べる料理教室。
假奈代さんからも話を聞く。生活保護費が支給されたら、まずは米とカップラーメンを買うという人がいる。台所はなくても、炊飯器ならあるという人も多い。
誰もが持っている食材、誰もが持っている熱源。メニューは自然と「おかゆ」に定まっていった。そしてタイトルは「おかゆのしあわせ」に決まった。
とはいえ、私はあまり米に関心がなく、「おかゆ」を美味しいと思ったこともない。今のところ、特に好きではない相手とどう親密な関係を築くか。まずは食の図書館に籠って、おかゆについての本を読みあさり、とにかくおかゆをつくり、食べるということを始めた。
水分量によって全然違う料理になること、噛まなくてもよいという食べやすさ、中国粥はスープが重要、韓国粥はなめらかさが重要など、広がりも見えてくる。
「おかゆ」は根源的な食べものだ。「粥」は「加湯」から来ていると言われる。つまり、米に限った料理というわけではなく、世界各国では様々な穀物が使われている。たっぷりの湯で煮ることで、消化しやすくし、分量を増やし、他の材料を加えやすくする。最小限の材料と熱源でつくれるものとして選んだ「おかゆ」は、その分、とても自由な料理であることを発見した。これさえあればできるし、でも、こんなことまでできる、と言えるなら、とても希望のある料理じゃないか。
いろいろ考えた結果「あんかけがゆ」「鶏がゆ」「玄米あずきがゆ」「甘い牛乳がゆ」をつくることに決めた。
「あんかけがゆ」は、私が日々おかゆをつくってみて、最初に「これは美味しい!これならまた食べたい!」と思ったおかゆ。白がゆに、とろみをつけた一番だしをかけたもの。炊飯器ひとつではできないのだけど、これは私からのプレゼントにしよう、と思った。自分ではつくれなくても、誰かにつくって欲しいとお願いできるものがあったら、それはそれでしあわせなんじゃないかと思った。
「鶏がゆ」は、病気の時に食べるおかゆのイメージを覆したくて、中華粥らしくつくる。手羽元と生姜、葱の青いところ、くこの実を、炊飯器に一緒にいれて焚く。
「玄米小豆がゆ」は、身体のことを意識して。滋養はあるけれど、消化の悪い玄米も、おかゆなら大丈夫。小豆を入れることで、たんぱく質もとれるし、乾物なので保存もきく。
「牛乳がゆ」は、ちょっとした遊び心。スペインでは、インドやスペインでは、甘くした牛乳がゆをデザートとして食べる。米に牛乳、しかも甘い、というのはちょっとチャレンジングかな、と思ったけれど、かなよさんが「よろこびそう」と言ってくれたのと、楽しい雰囲気の中でなら、人は意外と新しい食べものにチャレンジするものだ、というこれまでの実感を信じて。
そして現地に行ってから急遽加えたのが「茶がゆ」。関西には「茶がゆ」の文化圏があり、ある人々にとっては、「おかゆ」いや「おかいさん」と言えば「茶がゆ」なのだということを体感するできごとが2つもあり、関西で「おかゆ」を扱うのに「茶がゆ」抜きは、ありえないのかも知れない、と加えることを決めた。
当日は、老若男女10名ほどが集まった。最初、おかゆについていろいろ話している時には、みなさんは、座敷にどっしりと座りこんで様子眺めをしていたのだけど、鶏肉、くこの実、牛乳など、おかゆらしくない材料を紹介し始めると、みんな立ち上がって、釜の中を覗き込みはじめる。
吸水しておいたお米に、材料を切って加えて、スイッチオンして待つ、という簡単な料理だけれども、それでも私が手順を間違えたりすると、つっこんだり、これで自分は間違えないですむわ、とフォローしてくれたり、台所のまわりは賑やかになる。
おかゆが出来上がるの待つあいだ、假奈代さんが「おかゆの俳句でも、つくりましょうか」とみんなを誘う。
茶がゆの 作る姿は 亡き母か
レトルトで ひとり食べるが おかゆさん
かゆすする 思いは遠い 幼い日
手羽元と ショウガと クコの実 おかゆさん
優しさの 炊きあがるを待つ おかゆさん
うそついて ごめんなさいの おかゆさん
おかゆさん なかなか出来ぬ 楽しみか
おかゆの湯気の奥に、みんなのいろいろな気持ちが透けて見える。
できあがった5種のおかゆを、順に食べていくと「まるでおかゆのフルコースだな」という声があがる。
味の想像がつくものも、つかないものの、みんなでワイワイいいながら、味わっている。
終わってから、ある男性が「釜ヶ崎に来てから、出来合いのものを食べることが多くなっていたけれど、明日からまた自分のために料理をしたいと思う」と話してくれた。